【汝、隣人を愛せよ】







シチリアの小さな村にある映画館パラダイス座。
トトは映画に魅了された少年だった。

青春時代を過ごした村から飛び出し、映画監督としてローマに暮らしていた彼は、
幼いころに慕っていた映写技師アルフレードの死を知らされ、再び故郷に帰ることとなる。


映画を愛した男の半生を描いた作品。
全体的に淡々と進められるストーリーだった。
アクション映画を好んで見るという彼には退屈だったろうか。

狭いアパートの一室にソファなどを置くスペースもなく、薄い壁を背もたれに二人で並んで見ていた。
時折「こういうの楽しそう」とか、「あの子可愛いな」などと口にするシモンさんの横顔を盗み見、それなりに楽しんでいてくれるようで知れず安堵の息を零す。

僕は一度見ているので、ついシモンさんの反応に意識がいきがちだった。
必死に画面に集中しようと思うのだが、隣りが小さく噴き出すとすぐにつられて笑ってしまう。
こんなに笑う場面の多い映画だったろうかと不思議に思った。



緩やかに進む映画の中で、僕が心を奪われたのはラストシーンだ。
師のアルフレードが主人公に残した一本のフィルム。
それは、二人が映画館で仕事をしていた折、教会の要請でカットしなければならなかった映画のとあるシーンをつなぎ合わせたもの。


それは、何十本という映画の、
切り落とされたキスシーンをかき集めたフィルム。


映画を愛するアルフレードの形見が、その想いを雄弁に語っていた。





「・・・・・・・・・・・」



(…あれは、現実だったんだろうか…)

キスを。

ちょうど一週間ほど前に、シモンさんが熱を出して寝込んでいたとき。
どうしてだかまったく分からないし、状況をよく思い出せないのだが、
確かに自分は彼と唇を重ねた気がする。
そこのことについて、互いに一度も触れてはいない。
何もなかったように、従来通りの近所付き合いを継続していた。

夢だったんじゃないだろうかと。
今となってはそちらのほうが自然に思われた。


「・・・・・・・・・」


画面の中で睦まじくキスを交わす恋人たち。
ストーリーも背景も分からない恋人同士が、けれどどれも幸福に見えた。

(―――僕と、この人がこんなふうに?)

そう考えて、ますます現実味が薄れていく。
そもそも、自分も彼も男だ。この人たちとは違う。

忘れたほうがいいのかもしれない。



「……、ふ…」



かすかに聞こえた息使いに、何気なく隣人を見やった。
そして不意のことに思わずぎょっとした。
拍子に声が零れそうになったが、どうにか呑み込んだ。その横顔から目が離せなくなる。

シモンさんの頬をぼろぼろと幾粒もの雫が滑り落ちていく。
拭うこともなく、画面をぼんやりと見つめ続けたまま。音が聞こえてきそうなほど溢れ続けるその涙に、僕のほうが狼狽した。
確かに、自分も最初に見たときは感動して、涙ぐんだけれど。


声をかけるべきか否か迷う。
映画館ならば暗がりの中で、幕が下りるまでそっとしておくのがいいのだろう。
しかしここは、安アパートの一室で、蛍光灯が容赦なくたった二人の観客を照らしていた。

ついにはぐすぐすと鼻をすすり始めた隣人にいよいよ平静ではいられなくなった。
黙りこくってその傍らに座っているのも厳しいものがある。
本編もそろそろ終わってしまう。

(どうしたら…)


泣いているといっても映画に感動しているだけなのだ。
なぜこんなに動揺しているのか、自分でもわからない。ただ、無性に。

無性に。


「・・・・・・・・・・」



床に置いた手をささえに壁にもたせていた背を起こす。
もう一方の手をゆるく伸ばして、うつむくシモンさんの髪に触れた。
熱に浮かされたように、脳がまともに働かない。

揺れる瞳が不揃いな前髪の隙間から僕を捉えて、見つめ返される。
彼に驚いた様子はなかった。

一度絡んだ視線は解けそうになく、何か言葉を、と思ったが。やめた。


身体を寄せてシモンさんの頬に手のひらを置くと、わずかにだがその泣き顔が上向いて。
顔を近づけ、名前を呼ぶ。唇はかすかに動いたが、音には出来なかった。
心臓がうるさい。壊れてしまいそうだ。


「……嫌なら、とめてください」

僕を。

あるいは、懇願するような響きになってしまったかもしれない。

どんなに小さな力でも、押し返してくれればまだ。
まだ止まれるだろう。だから、早く。そう願った。
願う半面、否定されることを恐れた。

ひどい矛盾だ。


そしてシモンさんは薄く笑って、目を閉じてしまった。
だから、零れそうになったその小さな嗚咽を、僕はすくい塞いで 呑み込んだ。












貴方が誰を想い泣いていたかなんて、僕が知るはずもなかった。
































某映画のファンの方ごめんなさい。
私も大好きなんですあれ。
にしてもタガの外れやすい高校生(笑)




09.07.5