『体が重いと足跡も深くなる。恋心も強いと傷が深い。』

                       (『ニューシネマパラダイス』より)










【汝、隣人を愛せよ】





『新着メールはありません』


必要最低限の連絡手段として、持っているだけだ。
不要な通話やメールはしない。
アルバイトをしているとはいえ、大して稼げるわけでもなく、学費も生活費も叔父に援助してもらっている。
無駄遣いなど出来ない。


だから、以前はなかった。ごく最近、休み時間ごとに何度も携帯を開いてしまう自分に気付いた。
授業中に連絡をよこす人間などいるはずもないのに。
―――いや、正しくは、”いなかった”のに。今までは。


(電池の減りが…早い…)

知らず溜息がこぼれた。

そのとき、ブブブ、と携帯が震え、今しがた二つ折りに閉じたそれを再び開く。
心臓の音が身の内で大きく響いて、指先が少し戸惑っていたが振り切るように機体を握る。。

(…って、電話…!?)


僕は慌てて教室を出た。昼休み終了まで、まだ時間はありそうだ。
机に何度かぶつかっては進み、進んではぶつかる僕をクラスメイトのキノンが少し驚いた様子で見ていた。
顔がこわばっていたに違いない。あまり見ないでほしかった。





ピ、

『あ、うそ、出た』

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



受話器の向こうから聞こえた第一声はそれだった。

結局、階段の影のところに落ち着いたが、緊張が解けない。
通話すること自体久しぶりだったからだろうか。
近頃は大抵の用をメールで済ませていたし、別段通話の必要性を感じていなかった。
それとも、相手が彼だったからだろうか。
…いや、それはない。はず。

受話器から聞こえた声の主、シモンさんについてもメールこそすれ、電話などしたことがなかった。
普段直接耳にする声とは少し違うそれに、胸の下あたりが鷲掴まれたように息苦しい。
原因はわからず、そのあたりを制服ごと握りしめるくらいしか対処法が思いつかなかった。
強めに抑えても痺れるような感覚は消えず、効果は見込めない。


「…出たら…いけませんか…」
『いや、いや!学校だし、出ないかなって思ったんだけど』
「昼休みを狙ってかけたわけじゃないんですか?」
『いや、狙ってかけたわけなんですけども』


ひやりと冷たい壁に背をあずけた。
周囲の喧騒にかき消されるとは思うが、それでも無意識に声を潜める。
最近の僕は、おかしい。
シモンさんと一言二言かわすだけで、ものすごい体力を消費しているような気がする。
以前はそんなことなかったのに。

いつからだろう。


「何か、用ですか」
『あ、そうそう。今ツタヤにいるんだけどさ、こないだ言ってた映画なんだっけ』
「……」
『ほら、あの、最後がいいって言ってたやつ。子供んときに映写機回してた映画監督が主人公の、えっと』
「ニューシネマパラダイス」
『にゅーしま…?』
「ニュー、シネマ、パラダイス」


「ニューシネマパラダイスだそうです」、と向こうで言っているのが聞こえた。
かしこまりました、と女性の声が応えたのも聞こえた。その声がおかしそうに笑っているのも。聞こえた。

(この人は・・・ほんとに・・・)



「用はそれだけですか…」

やっぱり、体力や気力やらがざっくり持って行かれた気がする。
予想の斜め上を行く彼の言動がすべての元凶かと、こわばっていた体が一気に脱力した。
全部、シモンさんのせいだ。


『おう、ありがとなー』

間延びした声が返されて、ずるずるとその場にしゃがみ込まずにはいられなかった。
大学生は自由だ。
シモンさんはその中でも群を抜いて自由だ。
僕はいつも振り回されてばっかりだ。昼休みも、あと5分くらいしかない。
図書室に本を返しに行くつもりだったのに。


「じゃあ、切りますよ」
『うん。…あ、』


本は放課後に返しに行こうと思いつつ、通話の終了ボタンに指をかけたときだった。
何か言葉が続きそうな反応に、反射的に再び携帯を耳に押し当てる。


「まだ何か」

『今日一緒に見ようぜ!ニュー…しまね…』
「ニューシネマパラダイス」

『そうそれ。俺これ借りたら5時くらいには帰るし。ついでに夕飯ロシウんちで食べよう』
「って、また勝手に何言って」

『俺が作って持ってくから安心しろ!今日バイトじゃないだろ?』
「じゃないですけど、そういう問題じゃ」
『決まりなー』

「シモンさん、僕はっ」


受験生で、勉強が。と言おうとして。


『あ。わるい、嫌か?』


声音が、少しだけ。
本当に聞き逃しそうなほど少しだけ、揺れた。
どうしても声に集中してしまう状況下、気付かないわけがない。
聞き取ってしまう己の耳が恨めしかった。ずるい、声だ。そんなふうに言われてしまえば


「嫌じゃ、ない…です…」

けど、と。それ以上言えなくなる。

額を押さえてきつく目を閉じ、勉強したいのに、と胸中で不満をこぼす自分の影にかくれ、
期待していることもまた自覚していた。
学校で少し勉強していけばいいか。こうやってまたシモンさんに付き合わされるのだ。
もしかしてと気付き始めたものからは視線をそらす。責任は隣人にある。




もしかして、もしかすると。
思い過ごしかもしれない、むしろそうであってほしいことだが。





「じゃあ、5時頃帰ります。夕飯お願いします」
『ガッテン。まかせろ!』


ピ、


携帯の画面には『通話終了』の表示。



(好き、なんだろうか…)



貴方のことが。































一度気付けば自覚も早いロシウ。
聡い子です。






09.06.25